自然の中で生きる動物や植物は本当に自然の中で生かされているといつも感じます。朝台を置いて生態系を乱している感じもして反省もしています。が、毎年同じように同じ頃にやってくるとまだまだ
自然も保たれているのかなぁと安心します。


京都新聞[凡語}より転載

ねずみ花火
 <思い出というのはねずみ花火のようなもの>。向田邦子さんが随筆に書いている。<いったん火をつけると、不意に足許(あしもと)で小さく火を吹き上げ、思いもかけない所へ飛んで行って爆(は)ぜ、人をびっくりさせる>▼何かの拍子によみがえった一つの残像に、幾つもの記憶が連なり浮かんでくる経験は誰もあろう。向田さんの視覚的な表現が美しい▼こちらは何とも見苦しい。政治とカネの闇の中を、ねずみ花火がぐるぐると飛び回っている。農相に始まり、環境相、法相、文科相の面々があぶり出された。前の3者は国の補助金を得た企業から、1年以内に寄付金を受けていた▼それを政治資金規正法が禁じるのは、企業と議員が癒着し、巡り巡りて国の補助金が政治家の懐に流れるのを防ぐためだ▼「補助金を受けた企業と知らなかった」「返金した」と繰り返す御当人たち。「問題ない」とかばう首相や官房長官。政治が抜け穴をくぐれば、法の精神は失われる。世間が許さぬと悟ったのか、農相は辞任した。法を司(つかさど)る法相は、環境省の補助金企業と絡んでいた環境相は、どうする。道徳を教科にするほど重んじる文科相も、資金処理の不透明さは矛盾に過ぎる▼有権者は慣れっこにはなりたくない。爆ぜるねずみ花火に大いに驚いて、おかしいと声を上げたい。

[京都新聞 2015年02月28日掲載]

一人言:自分たちが作った法律を守りましょう。大方の国民は政党助成金を貰っているのだし議員報酬ももらっているんですから必要ないでしょうに。と、言っていますけども・・・。