2014年01月
連休初日は終わりましたね。雪はねもあったりで大変な方もあったでしょう。ご苦労様でした。
地元じゃ評判がわるいのかな?
熊本日日新聞から転載 1月11日付
「自分がどう感じるかということよりも、自分がどう見えるかということに関心を持つ」。米国の精神科医A・ローウェンが「ナルシシズムという病い」に書いている。むろん、ナルシシストについての定義だ▼このタイプの人は自分の感情よりも「自分がこのように見えているだろう」というイメージを大事にするという。多少なりとも誰にでもある傾向だが、政治家や芸能人に目立つ▼細川護熙氏が東京都知事選に立つという。熊本には縁が深い方だが、「見せ方」「見え方」にこだわりが強いようにも感じる。その決断には何度も驚かされてきた。熊本県知事や首相への去就、任期途中での衆院議員辞職、陶芸家への転身など▼細川さんからすれば、イメージの創造に成功したのかも。その際の「決めぜりふ」も忘れがたい。県知事引退の時は「権不十年」、衆院議員の引退時は「60歳で政界引退を決めていた」「今後は晴耕雨読」▼格好はいいのだが、すべてが後講釈で、いつしかほごになりがちなのがちょっと残念だ。「60歳引退は選挙の時に言うべきでは」と聞いたこともあるが、納得できる説明はなかった▼今回の立候補の動機には反原発があるという。小泉純一郎元首相も唱えている。こちらもなかなか「見せ方」を知る人。言葉の使い方もうまい。もし細川氏を支援すれば、風を起こそうとするだろう▼ただし、衆院選を郵政民営化だけで戦うような劇場型選挙はごめんだ。そのツケは大きい。細川さんも晴耕雨読で学ばれたことだろう。
今年はどうも江別、当別方面が鬼門の様です。
全国的に冷凍庫状態の様です。
都知事選は北海道と直接関係ありませんが都民の有権者の投票先への選択肢が増えそうです。首相を選ぶ間接と違って直接、代表の候補者を選べるのがいいですね。
今朝の北海道新聞から転載「卓上四季」 病の歴史
▼貞観4年(862年)というから、あの東日本大震災に匹敵する規模として知られるようになった貞観大地震の7年前にあたる▼史書「日本三代実録」に、「たくさんの人が咳逆(がいぎゃく)を患い、死者多数」とあるそうだ。「咳逆」はひどいせきのこと。千年以上前に発生したインフルエンザ流行の記録という▼その10年後の大流行の際には、「渤海(中国東北地方東部にあった国)の客が毒気を持ってきた」とのうわさも立った。そのころすでに、人々は「咳逆」が外部から持ち込まれる感染症であることに気づいていた(酒井シヅ著「病が語る日本史」講談社学術文庫)▼人類は波状的に襲来する流行病に悩まされてきた。細菌やウイルスたちも懸命なのだろう。“変身”を繰り返し、免疫の防護壁をかいくぐる。この冬、札幌で抗インフルエンザ薬のタミフルなどが効きにくい耐性ウイルスも確認されている▼苦しみ、痛い目にあったはずなのに再発する「歴史の病」も似たところがある。語り継がれる「教訓」は免疫の役割を担うが、「国家主義」という熱病は手を替え品を替え襲ってくる▼「機密」「愛国心」「英霊」などの言葉が飛び交うようになると、それは感染の兆候。かかったかな、と思ったら―。早期治療が肝心だ。熱に浮かされた末に、「たくさんの人が患い、死者多数」という取り返しのつかない事態に陥る前に。2014・1・10
いやぁ~、明朝はすごい雪ですよ、きっと。
早起きしなきゃ。
気になっていたコラムだったんですが今朝の北海道新聞朝刊「視点」にむの たけじさんがたまたま出ていました。99歳なんですね。
元気なお姿の写真が出ていました。
東京新聞「筆洗」から転載 2014年1月5日
▼ことし一年、じっくりじっくりページをめくっていこうと思っている本がある。この二日で九十九歳になったジャーナリストむのたけじさんの『99歳一日一言』(岩波新書)だ
▼戦前からペンで時代を刻んできたむのさんが一年三百六十五日のために紡いだ言葉が、そこには並んでいる。一月三日…<おのれを励ます最後の言葉はこれしかあるまい。「この地球に、オレはこのオレだけだ。がんばれよ、オレ」>
▼一九四五年の終戦の日、むのさんは新聞社を辞めた。戦争の真実を読者に伝えなかった責任を、自分自身で取るためだった
▼八月十五日の言葉…<人と人との相互関係は、目的が何であれ、組織の規模がどうであれ、一対一が原則です。いつでも、何でも、どこでも、何のためでも、一対一の対等であるのが当然です。そこを裏切ると、人間そのものを裏切る>
▼故郷の秋田で週刊新聞「たいまつ」を出した。保守的な風土にあえて挑む言説を掲げ続け、それを本にまとめたら、地元の顔役たちが祝ってくれた。不思議に思ったむのさんが訳を尋ねると、「たいまつは、おらだちの敵だ。だからつぶすわけにいかぬ」
▼対立する相互関係を認め、その上で前進しようという姿勢。組織や集団の論理ではなく一対一で向き合おうという精神。そこに憎悪の連鎖を変えるカギがあるのではないかと、むのさんは記している。
暖かい日でした。
本日は東京新聞「筆洗」から 2014年1月7日
▼ある米国の作家は、言った。「金持ちというのは、私たちとは違う。彼らは私たちほど、税金を払わないのだ」。きっと異論のある高額納税者の方も多かろうが、源泉徴収の額に吐息を漏らすサラリーマンは、うなずいてしまう言葉だ
▼そのため息とともに納められる税金が、一兆円も投じられる会社がある。東京電力だ。そんな経営危機にある会社が、海外に二百十億円も蓄財しているのだという
▼免税制度をうまく使ってのことで違法ではないらしい。だが、自分の蓄えはそのままに、他人の懐をあてにするというのは、「私たちとは違う」感覚の持ち主としか言いようがない
▼中部電力は、浜岡原発の地元・旧浜岡町(現静岡県御前崎市)に、七十億円以上もひそかに寄付していたという。まこと気前のよい話ではあるが、そのお金とて、元は電気料金として私たちが払ったもの。消費者や住民が知らぬところで巨額のカネが動く、その不透明さ
▼秘密の寄付は、原発の建設にあたり、地元の合意が必要だったころに行われたそうだ。カネにものを言わせたと受け止められてもしょうがないだろう
▼増税ラッシュと公共料金の値上げに苦しむ身にしみるジョークがある。これも米国の作家の言葉。<カネがものを言う、ということを私は否定しない。現にカネがこう話すのを、私は聞いたことがあるのだ。「さようなら」とね>
こんな記事を読むと怒りがこみ上げてくるねぇ~