これだけ冷え込んでくるとこの時期いつもの光景が見られます。
町中の桜の紅葉も進んで来ましたね。
一日一日と秋の深まりを感じます。
きれいですが長い冬を思うと一寸気が滅入る歳になりました。
東京新聞「筆洗」より転載 2014年9月30日
その電話が突然かかってきた時、自分ならいったい何と言ってやれるか。どんな話をすればいいのか。その女性は御嶽山の九合目付近で噴火に巻き込まれたそうだ▼お気の毒なことに飛んできた噴石が当たってしまい、左膝から血が流れ続けた。一緒にいた友人が手当てしたが、限界がある。死を意識したのかもしれぬ。自分の携帯電話を差し出して「お母さんと話したい」と頼んだそうだ。電話で「お母さん、もう死にそう」と伝え、その後、息をしなくなったという▼二十九日朝刊の記事にあった。読んでいて、こちらの胸も苦しくなる。女性は痛みをこらえながらも母親とどうしても話をしたかった。何かを伝えたいと願った。母親を思ってのことだろう▼「もう死にそう」の声を耳にしながらも、母親は手を握ることも抱きしめることも許されない。もどかしさと無力感は想像もできまい。それを見守った友人もどんなにつらかったことか▼女性。母親。友人。誰もがお互いを気遣っている。それなのに何もできない。温かい心があるからこそ、温かい行いができぬ現実が、むしろ「痛み」を深める。これほど残酷な仕打ちがあろうか▼三日たった。噴火の無慈悲さが明確になってきた。できることがあるとすれば、犠牲者を思い、人の命の重さをもう一度かみしめることか。悔しいことだが、それしか思いつかない。
2014年09月
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