巡る季節の今は、こんな気配を漂わせています。
徳島新聞「鳴潮」より転載 8月30日付
▼鹿児島県のトップとしては幼稚な発言である。伊藤祐一郎知事が、県の教育に関する会議で「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と述べた
▼女性に対して日頃から持っていた「上から目線」と「固定観念」が、思わず口をついて出てしまったか。女性から「男性であれば教える意味があるのか」とか「その根拠を示して」と反論されれば、ぐうの音も出ないだろう
▼知事は翌日、「自分自身も使ったことがないよねという意味」と訂正した。苦し紛れの弁明だろうが、三角関数を使ったことがないのは当たり前である。仕事や趣味で関わらない限り、普通の社会人が三角関数を使うことはほぼなかろう
▼社会に出れば、ある種の知識が直接何かの役に立つことはそう多くない。授業で習ったはずの微分積分や化学式、漢文…使ったことがないどころか、今や学んだ記憶すら曖昧になっている
▼だが、学びは、知識だけではなく、多くの力を与えてくれる。忍耐力や理解力が育まれ、人生の支えになる
▼多くの学校は夏休みも残りわずか。宿題に追われている子どもは少なくないはず。はかどらなくて「勉強って意味があるの」と、子どもがかんしゃくを起こしたらこう伝えてほしい。学ぶことは苦しくても、いつか自分を助けてくれる、と。
一人言:花は沢山付いていても、実になるかならないかは色々な要因があって微妙です。
2015年08月
どうって事はないのですが良い感じでした。
北海道新聞「卓上四季」より転載 08/27 10:30
正直者
新潟県に「天福地福」という昔話が残っている。ある村でお隣同士が初夢を教え合うことに。正直者と呼ばれる男が天から福を授かったと語れば、隣の欲張り者は地から福をもらったと言う
▼正直者が畑を耕していたら財宝が詰まったかめが出たので隣人に教えた。だが欲張り者が開けるとヘビばかり。怒って正直者の家の屋根でかめをひっくり返すと小判が降ってきた―
▼同様の逸話はイソップの「金の斧(おの)」をはじめ世界中にある。ウソをつかず額に汗して努力する人は好感を持たれる。間違いがあっても素直に認めるならば許される。正直の価値は古今東西、変わらないらしい
▼選挙のたびに「正直者がばかを見ない政治を」と訴えるセンセイたちの世界はどうか。安保関連法案の質疑で「イスラム国」への軍事作戦支援について、防衛相は法案上可能と認めた。禁止を明記していない以上、正直な答弁だ
▼安倍首相は「政策判断としては全く考えていない」と述べた。いつまでそう言い続けるのか。いずれ判断を変えるようにも聞こえる。見方を変えれば、本音丸出しの正直な答えかもしれない
▼「論語」にこんな一節がある。羊を盗んだ父を告発した子を正直者とほめた人に、孔子は「子は父のために隠す。それが正直者」と答えた。正直といってもいろいろだ。こと政治に関しては何が国民にとって正直なのか、しっかり目を凝らさないと。
2015・8・27
つい最近まで花が咲いていたと思っていたらもうこんなに枯れてしまっているんですね。
山陽新聞「滴一滴」から転載 (2015年08月27日 08時00分 更新)
選挙といえば、立候補者の中から選んで無記名で投票する。それが当然のように思われるが、1890年にわが国で衆院選挙が始まった当初は全く違った▼立候補制ではなく、納税額などの要件を満たす人なら誰に投票してもよく、記名投票で行われていた。国会議員を務める意思がない人が当選する可能性もあるから、本人が承諾書を出した上で正式に国会議員になったという▼後に首相となる犬養毅(号・木堂)もこのとき初当選した。岡山市北区の犬養木堂記念館で今月末まで開催中の特別展「木堂さんと選挙」で、当時の様子や選挙の変遷を紹介している▼立候補制でなかったことで珍事が起きる。1925年の補欠選挙。政界引退を決めた犬養の議員辞職に伴って行われたにもかかわらず、当選したのは犬養本人だった。犬養は翻意し再び議員となり、6年後に内閣を率いる▼こんな制度でなければ、犬養首相の誕生も、その後に凶弾に倒れることもなかったろう。歴史の微妙なあやが感じられる。有権者はまさに「出たい人より出したい人」を選んだ▼翻って現代。未公開株購入を持ちかけた金銭トラブルで自民党を離党した衆院議員、架空の市民アンケートで政務活動費を受け取った疑いの神戸市議会議員。相も変わらずの政治家を見ていると、かつての制度をうらやみたくもなる。