それぞれの神様も新年の信念にみんなの願いをどうやって叶えてあげようかと思案中。
各地の晦日の雰囲気を・・・。
2013年12月
雪はねも終わって一服です。
何だかんだと言っても時間は経っていきます。
「良いお年を!」の会話も増えてきてすこしづつそんな感じになってきました。
又、馬鹿馬鹿しいお笑い番組があふれるんだろうなぁ~。
東京新聞「筆洗」から転載 2013年12月29日
▼昨日は門松を飾る人をよく見かけた。門松を立てるのは十三日から二十八日までの間が望ましく、二十九日は、「苦を待つ」「苦立て」につながるので、見合わせた方がいいという
▼三十一日も一夜飾りで望ましくない。三十日も二十九日と三十一日の間で良くないそうで、となると、二十八日が門松を立てるのに適した最後の日ということになる
▼縁起が良いに越したことはないが、忙しい中、本寸法にはいかぬ。<門松を三十日(みそか)の夜に立てしかな>。高浜虚子の句もある。「私の家では、正月の設けというものも、とかく大三十日の晩ぐらいにする…」(『俳句の作りよう』)
▼「紙の門松」。門松の絵を印刷した紙を玄関先に張る。岐阜出身の筆者は子どもの時、門松といえばあれだったが、全国共通ではない。東京では見かけぬ。名古屋、大阪出身者も知らぬという。逆に千葉では「今もある」。高知や岡山では紙の方が一般的と聞く。不思議な分布である▼高知のある印刷所は昭和二十九年から紙の門松を製作している。松林の保護が目的と説明するが、あの頃、本物はぜいたくだったのか。紙の門松に豊かになりたいと願う、かつての日本人の前向きな熱を思う。しかもあの時の方が幸せだったような気さえする
▼破れやすい紙。気にしない。二十九日でも「苦を絶つ」と読めば、それほど後ろめたくないだろう。
都会の神様は願い事の人数も多くて大変でしょうが、ここの神様は比較的楽でしょう。と、いうか寂しいかも・・・。
こちらの方の神様はどうなのかな?
沖縄タイムスから転載
[大弦小弦]「沖縄の心とは何か」…2013年12月28日
▼「沖縄の心とは何か」。沖縄県知事はこの問いと向き合ってきた。「ヤマトンチューになりたくて、なりきれない心」は西銘順治氏。大田昌秀氏は「平和・共生・自立」とし、稲嶺恵一氏は「異質なものを溶け込ませてしまう寛容さ」と捉えた
▼同じ質問に仲井真弘多知事は「あまりよく考えたことはない」とした上、「3人の先輩のおっしゃったことを足したような感じが県民の気持ちではないか」と答えた
▼仲井真知事が重視するのは行政の論理。官僚的な思考から抜け切れず、政治家になりきれない。米軍普天間飛行場移設の公有水面埋め立ての承認は本質を露呈した
▼仲井真知事は「不承認の場合、国との裁判を想定している」と裁判闘争も検討していた。結局は振興策や基地負担軽減策との取引の形で、政府の方針に応じる
▼承認発表の会見で「県外移設の公約は変えていない」と気色ばんだ。記者だけではなく、多くの県民、国民がその釈明に納得していないことに気付かず、世論から孤立する知事の姿がそこにはあった
▼承認の判を得るため、安倍政権は奔走した。その役割を終えた知事の声に政府がどれだけ耳を傾けるだろうか。会見で仲井真知事は進退を追及された。2期目の任期は1年を切り、求心力は低下する。来年はポスト仲井真で激動する。(与那原良彦)