いつもながらの「芽生神社」で今年の最後を締めます。
ご都合の付く方は是非「芽の生まれる御利益一杯の神社」芽生神社にご参拝あれ!。
ちょっと天候が心配かな?
暮れていく今年もあとわずか・・・。
全国のブログ訪問の皆さんにはやはり北海道新聞でしょう。
北海道新聞「卓上四季」
大晦日
▼あれをやらねば、これもやり忘れたと思っていたら、もう1年が過ぎようとしている。新年を祝ったのは、つい昨日のことのようなのに。いやはや、なんと月日が短く感じられるのか
▼「風天」の俳号を持つ故渥美清さんは、1年の最後を「ただひとり風の音聞く大晦日(おおみそか)」と詠んでいる。仲間の笑顔を遠目に、ベンチでひっそりと風に当たり、行く年に思いをはせる。少し寂しげな寅さんの横顔が浮かぶ
▼11月に亡くなった高倉健さんの姿も重なる。2人ともスクリーンの上では、女性に優しいけれど奥手で恥ずかしがりや。なかなか恋愛が成就しない。今ごろ、天国で照れ笑いをしているかもしれない
▼今年の風はどうだったか。寅さんにならって耳を澄ます。3人の日本人がノーベル賞に輝いた。青色に染められた爽やかな風が胸を満たす
▼水害や噴火で多くの命が失われた。無念の叫びが鼓膜をざわつかせる。自然の牙が年々、鋭利になっていくのは思い過ごしだろうか▼忘れてはならない声も聞こえる。東日本大震災の被災者にとって、4度目の大晦日。福島市在住の詩人和合亮一さんの詩がこだまのように駆け巡る。<はっきりと分かった/何かが/変わろうとしていること/集まり/離れ/また集まり/それを繰り返しているけれど/私たちは一人では生きられない/どうか/雲よ明るい彼方(かなた)へ>。今日より輝く明日へ。来年もよろしく。2014・12・31
2014年12月
もっと荒れ模様になるかと思ったけれど思いの外静かな雪が降っています。
今朝のおぼろげな朝日です。
信濃毎日新聞「斜面」より転載 12月31日(水)
東京の新橋から田町辺りは江戸の昔、芝浜と呼ばれ、魚問屋が並んだ。魚屋の熊五郎は腕はいいが大酒飲み。ある日女房にせかされ嫌々仕入れに行くと、浜で50両入りの財布を拾う。古典落語「芝浜」である
◆
有頂天になり家に戻ると、祝い酒だと飲んでは酔いつぶれ寝ての繰り返し。仲間に大盤振る舞いした翌朝、女房が追及する。飲み食いの払いはどうする気? 「50両があるじゃねえか」。そんなこと知らないよ、おまえさん、夢を見たんじゃないのかい―
◆
50両を拾ったのは夢、大盤振る舞いはうつつか…。浅ましい夢を見たと恥じた熊公、女房にわびて酒をやめ懸命に働き始める。酒の影響で失った客が戻り、借金も返して蓄えもできた。そして3年目の大晦日(おおみそか)。女房は告白する。おまえさんに立ち直ってもらうため嘘(うそ)をついていた…
◆
夢うつつという。夢とうつつのあいまいな境界にいた熊公はそこを突かれ、うつつを夢と信じ込んだ。ここは50両を受け取りながら、大家の指南もあってお上に届け出て、熊公には隠し通した古女房の知恵と辛抱に敬意を表したい
◆
今年1年、さめないでほしいと思った夢も夢でよかったという夢も見た。実現できた夢はさてあっただろうか。「芝浜」はオチがいい。除夜の鐘を聞いて女房が酒を勧めた。つがれた湯飲みを口に運んだ熊公が動きを止める。「よそう、また夢になるといけねえ」
初夢、見られるかな?
朝はテカテカ道路で歩かれない程・・・。お昼には道路がザクザクになりました。こんな天候の後は崩れるものです。
あまり荒れないでほしいですね。
本日は
福井新聞「越山若水」より転載(2014年12月29日)
▼「物事の決着や成功を祝って関係者一同が掛け声を合わせてする拍手」(新明解国語辞典)。日本の風習「手締め」だ。宴席などで「いよー」の声とともに三本締めが響いたことだろう
▼祝い事や式典などでなぜ手締めをするのか。もめごとの当事者が和解する際、物騒な刃物などを持っていないことを示すため指を開いて拍手をしたことに起源があるという
▼「シャンシャンシャン」を3回繰り返し、最後にもう1回打つ。9は数字で九。締めの1を加えると「丸」になる。つまり「円満に丸く収まった」という意味や三本締めは「三方丸く収める」という願いもあるそうだ
▼お手を拝借と、1回打つ。これは正式には一丁締め。恥ずかしながら一本締めと勘違いをしていた。ことし円満に丸くいったならよし、まだならば新しい年にかけてみるもよし
▼さて未年(ひつじどし)を紙面で振り返ってみると▽原因不明の新型肺炎SARSが流行▽個人情報保護法が成立(03年)▽湾岸戦争が勃発▽雲仙普賢岳で火砕流(91年)
▼えちぜん鉄道開業▽高齢者を狙うおれおれ詐欺横行▽解決見えぬ拉致問題(03年)▽気象異変記録ずくめ▽美浜原発で細管破断事故(91年)
▼戦火に感染症、災害、詐欺、異常気象…。「十年一昔」というが、今も似た問題や課題が見える。来る年が安寧、平和であり、そして「手締めの福」となればなおよし。
早いですね。寝て起きたら残りの日めくりは後3枚。
人生70年として25555枚以上の日めくりをめくったことになる。
厚さ3.5cmの日めくりを70箇積み上げたら2m45cmにもなる。
年月の積み重ねとはこういう物だ。一枚一枚は本当に薄いが・・・・。
本日は
茨城新聞「いばらぎ春秋」より転載 2014/12/28(日)
▼空気とは不思議なもので、見えないけれどそこにあり、触れないけれど感じられ、まして聞こえるはずもないが、第六感に響くことがある
▼ここで言う空気とは、心理、風潮、流れ、雰囲気などで表現されるあいまい微妙なしかし、誰もが厳然と感じるあれで、「空気読めない」の空気である
▼ファッションや流行で言えば、昨日までの最新がきょうはもうやぼになっていたり、経済では実際の商いと、社会全体の心理傾向など含めて「景気」という言葉があたる
▼その経済、アベノミクスをめぐって争われた衆院選。しかし、空気というキーワードで考えると隠れ争点はやはり「改憲」と「教育」ではなかったか。国や家族を愛せよと安倍晋三首相は言う
▼そのこと自体に異存はない。しかし「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」恐れに備えるために、70年間戦争をしなかったこの国のありようを変える必要は果たしてあるのか
▼それを是とする国民の投票によって安倍政権は立つが、国民の総意かと言えば、とてもそうとは言えない投票率だった。来年はそういう視点で政権ウオッチしたい。 (芳)
数少ないスズメに夕日が当たって、ちょっと良い気分。
中日新聞「中日春秋」より転載(朝刊コラム) 2014年12月27日
▼物理学には「エネルギー不滅の法則」という根本的原理があるが、この国の政府には「プロジェクト不滅の法則」なる神聖な原理があるらしい
▼日本原子力学会長や科学技術庁次官などを歴任し、わが国の原子力行政の中枢を担った人物は、原子力ムラの内々の集まりで、かつてこう語ったという。「日本ではプロジェクト不滅の法則というのがあってですね。いかにおかしくても死なないと」(NHK取材班『原発メルトダウンへの道』新潮社)
▼おととい政府があらたに公表した福島第一原発事故をめぐる調書を読んでいて、いささか感情が動いた。経済産業省で耐震安全審査を担う担当官は、専門家が指摘する津波の危険性を議論するよう提案していたという
▼だが、ある幹部から「その件は原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことを言うな」と命じられた。人事権を握る別の幹部からは「あまり関わるとクビになるよ」とまで言われたそうだ
▼なお十二万人が避難生活を強いられる現実を前に、この幹部たちはいま何を感じているだろうか。原発を再稼働させるだけでなく、廃炉される原発の建て替えまで検討しようとする原子力ムラの姿勢から、痛恨の念は伝わってくるだろうか
▼彼らの「プロジェクト不滅の法則」の前では、故郷を奪われた人々のうめき声など、さして意味もない「現象」なのだろうか。