寒い日でした。どう見ても晩秋ですね。
昨日の夕日ですが・・・・。
信濃毎日新聞「斜面」
10月31日(土)
▼国重要文化財の善光寺山門に本尊として文殊菩薩(ぼさつ)像が安置されている。三人寄れば文殊の知恵―でお馴染みの文殊様は知恵の象徴。天神様とともに合格・学業祈願に人気がある。何かと迷いの多い身には、あやかりたくなる仏様だ
▼これも英知の象徴にしたかったのだろう。「もんじゅ」と名付けた日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。完成から四半世紀たつのに深刻な事故やたびたびのトラブルで稼働期間はごくわずか。停止中でも年200億円かかり、これまで1兆円費やした
▼どう扱うべきか、原子力規制委員会が審議中だ。ネットに公開された会議記録からも組織のひどさが分かる。原子力規制庁の現場検査官は、危険性の高い炉なのに職員は知識レベルが低く管理能力がないとみている。科学者・技術者集団がこれでは、もんじゅの名も泣くだろう
▼「着実に改善している」とかばう文部科学省にも、田中俊一委員長は「監督官庁なのに当事者になりすぎている」と手厳しい。安全意識が低いままの機構に業を煮やして、レッドカードをちらつかせた形である
▼この際、規制委は増殖炉の許可を取り消したらどうか。国や電力会社に責任問題や損失が出ても、長い目で見れば廃炉の方が安く済み安全の展望も開けるだろう。ほかの先進国はとうに見切りを付けている。せめて、もんじゅでは原発事故の教訓を生かしたい。
2015年10月
地方は晩秋です。まぁ、これから冬が来て春が来て・・・・となるわけですが地方は冷えたままです。雲の間からわずかに陽がさす程度。嫌な流れの中でもがいています。
昔も今も変わりなし。
宮崎日日新聞「くろしお」より転載 2015年10月27日
超高速!地方創生
▼江戸時代、全国の諸藩に課せられた参勤交代。1年おきに藩主が江戸に出仕。大勢の藩士らが供をする大名行列は膨大な費用を要した。日向諸藩は片道約1カ月間を要した。
▼昨年公開された映画「超高速!参勤交代」では、磐城平(いわきたいら)藩の支藩・湯長谷(ゆながや)藩という小藩が国元に帰った途端、通常8日かかる行程を「5日間で来い」という無理難題をふっかけられる。私腹を肥やす老中が利権のために、湯長谷藩をつぶそうとたくらんだからだ。
▼磐城平藩の内藤氏は1747年に延岡藩に転封。福島県いわき市は延岡市の姉妹都市だ。本県でも関心を持った人は多いだろう。大名の体面を保ちつつ奇手奇策で急ぐ藩主らを阻止しようと、老中の意向を受けた隠密が次々と妨害する。
▼藩士らは必死に戦いながら叫ぶ。「お前ら江戸者がなめきっていた小藩の力とくと見よ」。中央の権力に翻弄(ほんろう)されてもあきらめず、独自の道を探る地方の反骨が重なって聞こえた。地方創生の総合戦略について、今多くの県内自治体が策定に追われているからだ。
▼国が求める最終期限は年度末だが、10月末までを条件に上乗せ交付金を申請できる制度がある。だから懸命になるのは分かる。「超高速!」の自治体もあろう。しかし早いほどやる気を認める、とする国の姿勢だが、本当にそうだろうか。
▼住民の意見の集約にも時間がかかる。専門会社に丸投げした自治体はないか。映画では本家の内藤家が「武士は相身互い」と手助けする場面がある。県内はどこも似た境涯。隣り合う自治体間で足りない部分を補完する視点もあっていい。
秋の深まりとともに銀杏も身支度を整えています。すっかり葉を落としてしまいました。
山形新聞「談話室」から転載
▼▽目をつむり沈思黙考の後オールバックの髪をかき上げ「ぜひ、私にやらせてください」。神風特攻隊の最初の指揮官にと打診された関行男大尉が、上官に返した言葉という。71年前の10月25日、フィリピン沖に散った。
▼▽本音は違った。従軍記者に話している。「日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて」。出撃は、国ではなく最愛の妻のため。「ぼくは彼女を護(まも)るために死ぬんだ」。まだ23歳。春に結婚したばかりだった。城山三郎著「指揮官たちの特攻」にある。
▼▽聞いた後、従軍記者の耳に残る一言があった。「どうして自分が選ばれたのか、よくわからない」。事実、ある士官は関の前に打診を受けながら辞退していた。特攻の後「軍神」と祭り上げられた若人は本県にもいる。崇拝の陰で、本人や遺族の真情はいかばかりだったか。
▼▽相も変わらず若者が使い捨てられている今の日本。過酷な長時間労働やパワハラによる自殺が社会問題化。本紙連載「闇に迫る」ではオレオレ詐欺の受け子が、使い走りの末に裏切られる様子を生々しく告白した。「どうして自分が」の連鎖は、いいかげんに断ち切らねば。
(2015/10/27付)
独り言:同じ「散る」だが、秋にこのコラムを目にすると一層無念さと寂しさが身に染みる。
駅西の工事が始まった・・・?
いやいや、JRの工事でした。
河北新報「河北春秋」より転載
▼世界トップレベルだと、たった6秒余りで完成するそうだ。立体パズル「ルービックキューブ」。発明者のエルノー・ルービックはハンガリー人の建築家だ。意外だと感じるのは、その国名をあまり耳にしないせいだろうか
▼シリア内戦による欧州難民問題で、ハンガリーに注目が集まっている。隣国セルビアなどとの境に有刺鉄線のフェンスを設置。ドイツと異なり、難民を国内に入れない政策をとっているのだ。EU内の足並みの乱れを象徴している
▼オルバン首相はイスラム教徒の受け入れに難色を示しているとされる。かつてオスマン帝国に支配された歴史が、そうさせるのかもしれない。一方、ドイツのメルケル首相が寛容なのは、ナチス時代に人種差別政策でユダヤ人を虐殺した反省と贖罪(しょくざい)の思いがあるからという
▼ハンガリーは1989年、民主化に伴いオーストリアとの間にあった鉄条網を撤去し国境を開放した。多くの東ドイツ国民が西側に出国。ベルリンの壁崩壊につながった。冷戦の終結で高まった民族意識が、現在の欧州を揺さぶっているのだから歴史は皮肉だ
▼「欧州では人も文化も旅している」という。課題はいつの時代も多民族の融和。モザイク模様を認めようとする国と単色にそろえたい国。パズルは相当の難問だ。(2015.10.27)
PCの不調でアップもれ・・・。
いい長いもが採れそうです。
沖縄タイムス[大弦小弦]より転載 2015年10月26日
まるで沖縄の戦後史だ。読んだ誰もがそう思ったのではないだろうか。きのうの紙面で、山梨日日新聞が発掘した山梨県内の米兵事件・事故の特集記事を転載した
▼追いかけてきた米軍車両にはねられてお年寄りが死亡、障がいが残った孫は自殺。こん棒で殴られて2人死亡-。違うのは、山梨では日本の主権回復(1952年)、海兵隊の沖縄移駐(56年)を経て、米軍の影が薄くなったこと
▼それでも、移駐先を気に掛ける人がいた。米兵の車にひかれ下半身不随になった天野武人さん(70)。「沖縄の基地のニュースを見るたびに、人ごととは思えない」と話す
▼県民の「魂の飢餓感」を埋めるのは、こうした共感の言葉だろう。取材した前島文彦記者(38)は「人口が少ない地方の声を、大きな民主主義が圧殺していく。沖縄の問題は山梨の問題でもある」と語る
▼同紙は論説でも海兵隊が山梨にいた事実を強調し、辺野古新基地建設を「差別」「山梨発の問題」と提起している。全国的にも、地方を拠点とするブロック紙や地方紙は発行部数の4割を超える。総じて沖縄の主張に理解を示している
▼沖縄にいると、つい政府と全国紙に目が行きがちだが、希望は地方にこそありそうだ。抑止力などという「能書き」でなく、暮らしや命の「実感」を共有して、つながっていきたい。(阿部岳)
一人言:もう何も言えません。どうしたらいいんでしょうね。